今回は番外編です。この講座の内容ではなく、講座全体を俯瞰して感じた「学びの本質」「教える技術」のようなものを「8つの極意」としてまとめてみました。これらの8つの極意が学校教育における授業改善のヒントになればと考え、ここに紹介するとにしました。
このプログラムでは最初にカウンセリングを行い、クライアントの食を含めた生活習慣などの現状と、どのようなゴールをイメージしているかなどについて、対話を深めながら浮き彫りにしていきます。そこでの惣兵衛さんは、「指導者」としてではなく、解決に向けて一緒に取り組んでいくという共感、支援のスタンスを表明します。このことによって、クライアントは、今後に対する不安感が消え、同時に指導者への信頼感が生まれます。このような信頼感から生まれるエネルギーを惣兵衛さんは「自分と世界を信じる力」と言います。それは「自分も世界もあるがままに信頼しきって身をゆだねる」ことであり、更に言うと、それは自分が赤ちゃんだった時代を取り戻すことでもあるとのことです。なるほど!私は、これは学びにおける本質ではないかと膝を打ちました。
赤ちゃんは、すべての世界が一体化している存在です。手も足も、母親も、ぬいぐるみも、宇宙も、みな自分そのものです。
数学者の岡潔は、「人の悲しみがわかる」とは、悲しくない自分が悲しい誰かの気持ちを推し量り「理解」するのではなく、自分も他人に同化してすっかり悲しくなることである、と述べています。彼はまた、習うとは、物に入り一体となること、自分がそのものになることとも言っています。それは、無心の、いわば赤ちゃんの状態です。綺麗な花が咲いているとき、赤ちゃんの状態であれば、その姿を自分の喜びにすることができるけれど、赤ちゃんの状態でなければ、その花の存在にさえ気づかないでしまうかもしれません。つまり、赤ちゃんの状態とは、相手に心を委ね、五官を研ぎ澄ませ、一体になろうとすることなのではないかと思います。
また、カウンセリングの結果はアンケートシートによって「見える化」するとともに、基本的な約束事(グランドルール)を提示し、クライアントにフィードバックされます。このように、最初に学習者のニーズの分析を行い、今の状況とあるべき姿のギャップを確認することで、教授者と学習者が同じ目線で目指すべきゴールを明確に共有でき、以後の学びがスムーズに展開されます。これは、最新の学習論の見地(例えばインストラクショナルデザインのADDIEモデルなど)から見ても、教えることの出発点として非常に重要なポイントであると思います。
カウンセリング後、クライアントに「短期目標」「中期目標」「長期目標」の3つのゴールの設定を課すことで、自らを見つめる状況を作ります。これは、教科の学びについても同様のことが言えます。授業時間内で解決される短期目標だけでなく、教科の単元目標(中期)、そしてその教科を通してどのような力をつけるかという大きな「教育目標」(長期)の設定が必要です。
しかし、このような目標設定は、一般的には評価規準などとして教師自身が行うだけで、学習者自身が自ら目標を設定するという活動はめったに行われません。私は、この「しあわせ脳プログラム」によって、学習者自身が目標を設定することの大切さを実感しました。なぜなら、学習者自身が自らの言葉で考え、判断し、それを表現することによって、主体的な学びが起きることが期待されるからです。
実は当初私は、「卒業式にモーニングを着られるために、取り急ぎダイエットしよう」という安直な思いがあり、このプログラムに参加しました。しかし、惣兵衛さんとの面談や、発信される様々なメッセージに触れる中で、考え方が大きく変わっていきました。例えば、ある日のフェイスブックの対話の場にはこんな記事がありました。
期間限定でやせたとしてもリバウンドしたら意味がない。指導のゴールは「体重を減らすこと」ではない。なんか体調がいいな~と思ったら副次的にやせてた、みたいな。いわゆる体質改善をゴールにしたい。だからゆっくり変化します。やめたら戻るダイエットではなく一生続けられる食習慣を身につけること、時には祭りもあっていい。戻れるベースをつくりたい。軸がないと羽目もはずせないもんね!それには知識、そのためのコーチ、そして環境圧力。
私はこの記事を見て、目から鱗が落ちました。そして、「目標設定シート」の長期的目標の部分を、「他者へ共感、支援する優しさを持ち、思いと行動を一致させ、様々なアイデアを企画・実行し、社会に貢献していく」としました。3つの目標の設定は、手段を考え、その先にある夢の実現を導く過程でもあると思います。
このプログラムの肝は、「気づき」を得るために、毎日行う食事日誌です。惣兵衛さんは次のように述べています。
このプログラム、体質改善をゴールにしていますがそれには真摯に自分に向き合わなくてはなりません。記録することで、来し方行く末を考える「内観」を習慣づけることが真のテーマです。
まさに省察の重要性を謳うしびれる言葉です。このような振り返りを行う意義は、本日の課題ができたかどうかを自己評価し報告するだけに留まらず、自分の中にすでに持っているものを、自らの手で掴み取る過程であるということですね。
惣兵衛さんの著書「食べる出すときどき断食」では、断食の章の中で、次のように述べられています。
私は断食を「変身プログラム」と命名しましたが、この変身とは、全然違う人間になるということではなく、本来眠っていた自分の能力が表面化する、と捉えています。
また、ご自身がチャレンジしたホノルルマラソンについて、前述の著書のコラムの中に次のように書かれています。
振返ってみると、ゴールは「ホノルルマラソン完走」ではなく、「運動を継続する」ことだったのでしょう。目的がないとなかなか人は行動しません。<中略>
私たちの体は宇宙の相似形といわれ、いうなれば小宇宙ですから、体の準備が整えばいつでも宇宙図書館から叡智をダウンロードできるんですね。断食で掃き清められた体は、まさに「My神社」。神社仏閣に出向いて願掛けする必要もありません。なにしろ答えはいつでも自分の中に「在る」のですから。
ドイツの哲学者ハイデカーは「学びとは、はじめから手元にあるものを掴み取ることであり、同様に、教えることは、相手がはじめから持っているものを、自分で掴み取るように導くことだ。」と言っています(「数学する身体」森田真生より)。上に掲げた言葉は、まさにそんな学びの哲学を語ってくれているかのようです。
何よりこのプログラムの凄いところは、クライアントがメールで送る食事日誌への返信が、その日のうちに即時フィードバックされるということです。
学校では、課題やペーパーテストなどにおいて、教師は往々にして、時間を置いて評価してしまいます。しかも、その評価は単なるマルバツであったり、検印のみであったりします。更には、提出されていないことを指摘し、叱責し、徹底して叩き込む方向で追い込んでいくような指導もよく見られます。
このプログラムでのフィードバックはそれとは全く異なります。ポイントは即時に返すことと、自分も楽しんでいること。そして、たとえうまくいってなくても、そこを責めるのではなく、小さな変化を評価し、励まし、クライアントとのラポールの形成を目指していることです。もちろん、順調に進んでいるクライアントには更にエンパワーし、どんどん尖らせていきます。そのような姿勢は、教師が大いに見習わなければならないところだと思います。
このプログラムで惣兵衛さんは、なぜそうなるか、なぜそうしなければならないかについて、つねに論理的に、科学的に説明されます。その中で私が感じたことは、そこに裏付けられる知識が、単なる机上のものではなく、自身の縦横無尽の経験に根ざし、自分の言葉で語る「生きて働く深い知識」であることです。だからこそ説得力があるのですね。そして時にユーモアを交え、絶妙のメタファを用いて、「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」語ります。これはまさに、すべての教授者の目指すべき姿勢であると思います。
このプログラムには、メールだけではなく、フェイスブックに非公開グループを作成し、オンライン上に対話と交流の場を実現されています。これにより、活動の次元が上がり、新しい価値が生み出されていくことが期待されます。様々なプロジェクトにSNSを活用してきた先駆者でもある、惣兵衛さんならではの仕掛けだと思います。
現代は知識基盤社会などといわれ、開発途上国といわれる国でも、タブレット端末とネットワーク環境一つで、高度な知識を獲得し、SNSによって、様々な知見をグローバルなレベルで共有し、イノベーションを生みだしていくことが可能な世界になっています。つまり、ICTは、国境や経済格差を乗り越える武器ともいえます。ところが、学校現場、特に公教育の場では、ICTやSNSの負の部分についてばかりが強調され、積極的に活用することに弱腰になっている状況が見られます。もちろん、スマホやSNSへの過度の依存、ネット絡みのいじめ、悪徳サイトへの誘導や詐欺被害などが頻発しているという背景は無視できません。しかし、SNSをスケープゴートにすることで、教育イノベーションが阻害されているとすれば、それは残念なことであります。このプログラムでのSNSの活用は、今後の学校教育の一つのヒントになるかもしれません。
今回のプログラムの重要なリソースは、株式会社惣兵衛が提供する、無農薬玄米を初めとするユニークでバラエティに富んだ食材です。そして、惣兵衛さんのおもわず笑顔になるイラストが踊るオリジナルテキストや、著書、「食べる出すときどき断食」がそこにシンクロします。
惣兵衛さんは、様々な汎用的な方法論や理論を、自らの経験や実践によって、咀嚼、分析し、オリジナルコンテンツへとブランディングしていきます。そして、その有効性を自らの生き方によって体現されています。そこに私は「創造的知性」(独創性、すぐれた芸術性)と「社会的知性」(説明力、説得力、他者と共感し支援する力)を感じます。このような知性は、AI(人工知能)が人間に追いつけないものとして、未来の職業の一つの指標でもあると言われています。
教師の教科指導についても同じことが言えると思います。カリマネ(カリキュラムマネジメント)とは、汎用的なテキストに従って、知識や技能を定型の手法で教え込むことではありません。それは「カリもの、モノまね」であり、AIに簡単に追い越されるタスクです。大切なのは、そこに自分のオリジナリティを加え、チャレンジを繰り返しながら自分の教材にブランディングしていくことです。このような行動がプロフェッショナルな教師へと近づく一歩なのだろうと思います。
今回のプロジェクトでは、鍼灸施術師の先生とタッグをくまれています。私は、このプログラム期間中に、惣兵衛さんがフェイスブックの対話の場で書かれた次のような記事になるほどと頷きました。
QOLには多次元的なアプローチが必要と思うの。本来ひとつの次元で理解できないことを、一次元だけで判断することがすごく多い。たとえば、登校拒否、暴力、引きこもり、うつ、不安症の問題。これらを精神の問題、生物学的問題、教育の問題、社会の問題、とどれか一次元の問題にしてしまうと解決は難しい。専門家って大人の事情があるのね。横の連携が難しそうなの。だけど21世紀はそんな垣根をはずしていく時代だと思うわ。<中略>
ひとつのメソッドですべてを解決する!というセクト意識はもう不要だべ。<中略>
誰の手柄だって問題ないの。その人がスタートラインに立てるんなら。そういうマインドが「しあわせ脳」そのものよ。そういうことができないか、日々妄想しているわ。もちろんわたしは「食」からアプローチよ。
自らの強みを活かしつつ、異ジャンルと共創することは、これからの教育においてもキーワードの一つと私は考えます。しかし、多くの指導者は、自分ひとりだけの力で実績をあげたいという思いが心の底にあることや、そもそも他の世界を知らない視野の狭さもあり、このような境地になかなか立てないのです。
惣兵衛さんのこの言葉と、それをすぐに実践に移していかれる企画力と行動力を教師は謙虚に学んでいかなければならないと思いました。
以上、今回はこのプログラムから教師が学ぶことをまとめてみました。
教育公務員特例法21条には「教育公務員はその職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」とあります。また、教育基本法9条には「自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。」とも謳われています。
確かに、教育現場には教育委員会などが主催する多くの研修が用意されています。しかし実際は、個々の教師が主体的に研修に出かける風景はあまり見られませんね。ましてや、学校教育というフィールドを超えて、身銭を切って学ぼうとうる教師は、周囲から奇異の目で見られたりするのがオチです。もしかしたら管理職から怒られるかもしれません。
しかし私が教師として得た財産は、学校という枠組みの中からだけでなく、むしろそれを超えて、様々なジャンルの人と交わり、学びあう経験によって生まれたものだと思っています。
この「断食マイスター養成講座」は、食養生と生科学の学びだけではなく、私にとっては「教える技術」「教師の見識」を磨く絶好の機会でもありました。今回は、そんな私の思いをおすそ分けしようと思いまとめたところであります。
では、次回はまた食と健康の話に戻りますね。