■訃報の知らせ
6月27日の午後、訃報の知らせを聞き、とるものもとりあえず車を飛ばしました。通いなれた光林寺内にある音楽療法スペース沙羅に到着し、あたふたと部屋に入ると、ベットの上に三井さんがやすらかな表情を浮かべて静かに眠っていました。しばらくその顔を見つめ、溢れそうになる涙をこらえながらようやく絞り出した言葉は「三井さん、本当によく頑張ったね」の一言でした。
■沙羅での出会い
2019年の暮れ、私は仲間と「石鳥谷酒蔵フォークジャンボリー」というライブを企画していました。このステージで井上陽水の「瞬き」を一緒に歌いたいと、オファーをいただいたのが三井さんとの出会い、そして楽しい日々の始まりでした。
三井さんとの初セッション「しもまっち&えころん」というユニット
初めて「沙羅」を訪れた時、そこにはとても優しい「気」が流れていました。そしてそれは、私の魂と共振しました。
お茶を飲み、おやつを食べて、セッションする。
四季折々変化する窓の外の風景を楽しみ、まったりとくつろぐ。
そしておしゃべりして、気が向いたらまた歌う。
私は、沙羅で三井さんといると、ついつい自分ばかり気持ちよく話をしてしまいます。そうさせるのは、婉娩聴従な三井さんのお人柄によるものであり、かつまた、「聴く」を生業とする音楽療法士としてのプロフェッショナリズムの所以でもあるのでしょう。そんなわけで、私はこの4年間で40回近く沙羅に足を運ぶことになったのです。
沙羅ではいろんなことをやりました。2人で決めた楽曲の合わせ、カフェルンバのメンバーとのコーラス練習やランチ会。時には、胡桃カスタネット作りや、るんびにいのアーティストの作品を纏っての大撮影会、などなど。そして、広いスペースなので、お花見ライブや、私のウズベキスタン報告会などのイベントもこちらでやっていただきました。本当に楽しかった。
「woman」の練習風景
「ウィスキーがお好きでしょ」の練習風景
秋の大撮影会
■闘病が始まる
2021年の8月に三井さんは花巻病院に入院されました。その2か月後、検査により、胃に腫瘍が見つかりました。そして、更に検査を重ねる中、切除不能のガンと診断されたのです。このときのショックはいかばかりだったのでしょう。三井さんは、「なぜ、自分が・・」と己の病状を嘆かれましたが、運命を受け入れ、病に立ち向かう覚悟を決められました。
痛みなどはなく、食欲もあり、気力も充実していたので、担当されている、るんびにい苑や専門学校の音楽療法の授業は続けられました。そして、貪欲なまでに、多くのことにチャレンジされたのでした。結果的に、そのチャレンジ精神が、余命半年から1年とも言われた命を、2年近くまで伸ばしたのではないかと私は思うのです。
死期を悟ることで「生」を強く意識する。そして目標を持つことによって、その日その日が充実する。傍で見ていて私はそんなふうに感じたのでした。
三井さんからは病気のことは内緒にしてくれといわれたので、私の胸の内に収めていました。そして、気力が充実することが、ガンに対抗する術になるのであれば、私は、できる限り三井さんに伴走しエンカレッジしたいと心に決めました。
■音楽療法の世界を広めたい
三井さんは、日本では認知度が低い音楽療法の世界を、多くの人に知って欲しいという思いを抱いていました。そこで、私がやっているラジオ・トークというメディアに出てもらったり(「沙羅でチャイ」「音楽療法のお話」)、齋藤みずほさんと私が毎週開催しているclubhouseにも参加してくれました。
そして、「しもまっちハイスクール」のミニ講座(第10回)でオンライン講演もしていただきました。
この講座はとても好評でしたので、その内容について少し触れておきます。
冒頭に、皆で「たき火」を歌い、その後、「もしかめ」に合わせた指の運動といった楽しいアイスブレイクでスタートしました。そしてメインの「音楽療法って何?」の話に進みます。私がインタビューしていく形式で、音楽療法の目的、効果、手法などについてお話を伺いました。その後、三井さんから具体的エピソードの紹介と、音楽療法中の動画が示されました。この動画では、対象者と療法士が音楽を介して心を通わせていく様子が映し出されていて、感動的で心が洗われるようでした。
それを踏まえて、皆でディスカッションを行いました。最後は、「洒落男」の替え歌を参加者でリレーしていくという、「ありのままの良さ」を認め合うアクティビティから、「赤とんぼ」を皆で歌って楽しい時間の幕が閉じました。
三井さんによると、音楽療法は、その効果に「明確な根拠がない」ことを理由に、国家資格化されていない状況にあり、そのため音楽療法を職業にすることが非常に厳しいとのことでした。
参加者の皆は今回の講座を通して、コミュニケーションから「言葉」をひき算したもの、あるいは「言語化」以前にあるもの、つまり非認知能力やパラ言語、そして音楽を通しての対話などについて考えていくことが、深くて本質的で、そして幸せで優しいコミュニケーションにつながるのではないかという価値を共有しました。三井さんの音楽療法の話を通して、デジタル化が加速した社会が進む中で、私たちがしがみつき、放してはならない「本当に大切なこと」とは何かを教わったように思いました。
そして、2022年の3月には、世界幸福DAYに合わせて、毎年開催されている「shiawaseシンポジウム」に三井さんと齋藤みずほさんと私の3人でエントリーしました。私はこれまで、齋藤みずほさんと共同でワークショップを行ってきたのですが、今回は、三井さんも加わって、音楽療法を中心に据えたウェルビーイングカフェを行ったのでした。事前に「ウィスキーがお好きでしょ」の替え歌ワークのプロモーション動画を一緒に作って臨みました。オンラインで行ったおかげで、全国各地、そして海外からの参加者もあり、歌を通して対話を楽しむとてもハートフルなワークショップになりました。
イベントのフライヤ
サンプル動画
ちなみに、この取組が縁で、今年の2月に、齋藤みずほさんが東京から三井さんに会いに来てくださいました。この時は、住職さんとのお茶会や、さくらホームの利用者との交流会なども準備してくださいました。そして、3人で「春よ来い」を歌って録画したのですが、この音源が、後に行われるファッションショーの冒頭の曲として流れることになったのです。この時は、齋藤さんも私も、入退院の頻度が多くなっていた三井さんを元気づけようという思いで訪ねたのですが、逆に私たちの方が元気や勇気をいただきました。三井さんは、「おもてなしをして人が喜ぶ」ことを喜びとする方なんですね。
「春よ来い」のセッション
■楽しい時間を共有
さて、三井さんとは、ここで記したものの他にもたくさんの楽しい時間を共有しました。美味しいものが食べたいというので、紫波町のオムレツの美味しい店にお連れしたり、私の行きつけのソーベーズレストランでランチをしたり。矢巾町の駅ピアノを弾こうということで、ゲリラライブを行ったのは、昨年の7月でした。
矢巾駅ピアノゲリラライブ
お会いするたびに、三井さんの身体はだんだんやせ細り、肌も黒くなっていくきました。そして頭はカツラになりました。しかし、音楽への愛情、音楽を信じる力は変わりないばかりか、日に日に強くなっていくようにも感じました。
■「旅するピアノ」X'mas コンサート
昨年12月にイトーヨーカドーで行った「旅するピアノ」X’masコンサートは圧巻で、感動的な一日でした。
このイベントについても少し補足したいと思います。これは三井さんと、三井さんの音楽療法士仲間である阿部さつきさんが企画され、イトーヨーカドーと花巻ロータリークラブのご厚意によって実現されたインクルーシブなコンサートです。「旅するピアノ」は、「バタフライエフェクト」というモチーフから、るんびにい美術館のアーティスト小林覚さんがデザインされたものです。
まず、トップバッターの女の子の演奏に心打たれました。鍵盤を一つ叩くたびに、楽しくてたまらないという気持ちが伝わります。演奏が終わったら、満面笑顔で拍手をしながらまわりじゅうぴょんぴょん飛び跳ねて嬉しさを表現します。参加者も笑顔で拍手がやみません。私はこれこそ音楽の原点ではないかと思いました。つまり音楽とは自分がとことん熱中し楽しむことなんだと。そして聴衆とはそれを見届ける証人であり、その喜びを分かち合う共演者ではないかと。
シニカルな見方で怒られることを承知で言うと、被災地に来る演奏家などが「音楽で応援したい」「音楽で元気を贈る」などとよくいいますが、実は奥底には自分が演奏して楽しみたいという気持ちがあるのだと思います。でもそれは不謹慎、不誠実なことではないのです。なぜなら、自分の熱中する姿を見せることが周りの人間を喜ばせるから。つまりオーディエンスとは演者から何かしらをインスパイアされるだけではなく、実は演者の満足を受け止める存在でもあると思うからなのです。
障がいを持っていても、いや持っているからこそ、純粋にアートに向き合い、喜びを表現し、心の扉を開く。それは聴き手に音楽を「与える」のではなく、聴き手が勝手に受け取るということ。これは学びの構図と相似形かもしれません。このようなステキな活動を広く社会に認知させていこうという、るんびにい、三井さん、阿部さんの音楽療法士の思いにあらためて感動するとともに、その輪の中に加わることができた自分を誇らしく思います。
■悲願のファッションショーに向けて
三井さんの強い希望は、るんびにいの利用者たちによるファッションショーを大々的に開催することでした。これを最後にやり遂げたいこととして、気を張って生きてきたようにも思いました。
2022年の10月に内輪だけのルンビニー祭を行い、そこでファッションショーを急遽企画してとてもいい感触を得ていたようでした。
そして、ついに、今年の6月17日から赤レンガ館で開催される「光林会55周年・るんびにい美術館15周年」のイベントのオープニングに、「旅するピアノ」のミニコンサートと、アーティストや利用者たちによるファッションショーの開催が実現したのでした。この企画とコーディネートはもちろん三井さんが手がけました。
しかし、5月に入り、開催まであと1か月という段階になる中、病状が悪化していきました。
5月17日に、私は三井さんからSNSで次のようなメッセージを受け取りました。
「こんにちは!まだ入院しています。食事、水分がとれないまま脱水症状で医大に入院しています。 やっと有料Wi-Fiつかえるようになりました。お会いしないうちに13キロも減ってしまい介護される状況です。赤レンガのことも連絡しなければと気になってました。 毎日検査をしています。 電話でしたらいつ頃だいじょうぶでしょうか?」
身体がどんどん厳しい状態になっていっているのに、赤レンガのことを気にかけて、何とかしようとしている様子に私は涙が止まりませんでした。そして、何でもいいからできることをしようと思いました。
そのような三井さんの強い意志にもかかわらず、病魔は容赦なく進行していきます。5月25日の打ち合わせの後、ついに、三井さん自身が、6月17日の赤レンガファッションショーに出かけることを断念せざるを得なくなりました。これを生きがいにしてきた三井さんにとって、それは言葉に言い表せないほどのショックだったのではないかと思います。
ピアノは三井さんが最も信頼を置く阿部さつきさんが担当することになりました。私はさつきさんのヘルプとして、ギター伴奏や歌を歌うことになりました。
■君の友達(You've got a friend)
そして、病院から自宅に移り、在宅医療の形になりました。自宅に戻ってこれたのはいいのですが、さすがに、これまで目指してきた大きなイベントに関われなくなり、気力が萎えた様子が感じられました。
ときどき、あきらめきったメールが届くことがありました。
あるとき、深刻なメールをいただき、心配になり沙羅にとんでいきました。大丈夫だろうかと、不安な気持ちで部屋に入rりました。
すると、三井さんのまわりに、友人たちの輪があり、お話をしたり、足をさすったりして、笑い声に満ちていたのです。三井さんも笑顔でその輪の真ん中におられました。私はほっとしました。そして、三井さんの友達の頼もしさに感動しました。
遠路から来られる方、寝泊まりまで一緒にされて付き添っている方、そんなステキな友人たちに囲まれている三井さんはとても幸せそうでした。
私の頭の中に、三井さんと一緒に歌った、キャロルキングの「You’ve got a friend」のメロディが流れました。そして私は、この歌を口ずさまずにはいられませんでした。
When you're down and troubled
And you need some loving care
And nothing, nothing is goin' right
Close your eyes and think of me
And soon I will be there
To brighten up even your darkest night
You just call out my name
And you know wherever I am
I'll come running to see you again
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I'll be there
You've got a friend
あなたが落ち込んだり悩みを抱えているとき
そして思いやりを必要としているとき
そして何もうまくいかないとき
目を閉じて、私のことを思い出して
そうすればすぐにあなたのもとにいくよ
真っ暗な夜でも明るく照らしてあげる
ただ私の名前を呼びさえすればよい
私がどこにいようとも
あなたに会うために駆けつけるよ
冬でも春でも夏でも秋でも
私の名前をただ呼べばいい
すぐにそこにいるよ
だって友達だもの
お花見ライブで歌った「You've got a friend」
■赤レンガ館でのファッションショー
そして、いよいよ6/17のファッションショーがやってきます。この日が近づくにつれて、県外、そしてオーストラリアやアメリカなど海外からも、三井さんへの励ましの声が届きました。
当日は、自宅からオンラインで参加できるようにZOOMでつなぎました。そのホストは高知の音楽療法士の方がされました。当日の現地でのテクニカルサポートは千葉県からわざわざこられた音楽療法士の方が完璧にやってくださいました。PCの外付けカメラの操作は会場に来られた私の友人が担当されました。翌々日からベトナムで学会発表があるにもかかわらず、東京から齋藤みずほさんも駆けつけられ、写真と動画を一手に引き受けてくださいました。妻と妻の友達の方も細かい仕事を引き受けてくれました。そのほか、スタッフの方や、三井さんの生徒さんなど、来場した方が演奏に加わったり、会場を盛り上げてくださいました。
三井さんは、自宅のベットからイベントの様子を見られ、手を叩いたり、拍手したりして喜んでくださったと後からお聞きしました。
このイベントは大成功に終わり、多くの人から「良かった」「素晴らしい」と高い評価をいただきました。これが成功した理由は、関わってきたすべての人が、三井さんの熱い思いを受け止めて、一つになっていたからだと思います。
三井さんは、新聞記事の取材の中で、今回のイベントの趣旨を
「出演する人も見ている人も楽しめる『みんなが主役』のステージにして、この場から幸せを広げたい」
と語っています。
本当に、一人一人が主役として輝いている素晴らしいイベントでした。
<追伸>
三井さんはダジャレが好きでした。よく話していたやつがこれ。
「天国にいったときにする挨拶は?」「あのよ~」
三井さんは天国で「あのよ~」とあいさつしたのかな。
いや、実はもう、天国では、サウンドオブミュージックのマリアのように、「楽しいことを考えましょう」とかなんとか言って、子どもたちや大人たちに囲まれて、ピアノを弾いて「マイフェイバレットシングス」などを一緒に歌っているのかもしれませんね。
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田村朋子 (土曜日, 01 7月 2023 23:20)
しもまっち先生の思い、三井さんに届いてますね。
あの世でもマリアのようにピアノを弾きながら、しもまっち先生を歓迎してくれるでしょうね。
しっかりお勤めしてきたわね〜ちゃんと応援して見守ってたわよ、少しは気がついてくれたかしら〜ようこそ、このよ〜って言われそうです♪
しもまっち (日曜日, 02 7月 2023 06:52)
コメントありがとうございます。五感は思い出と結びついていると思っているのですが、特に聴覚、つまり音楽はその楽曲自体の良さだけではなく、それに付随してくる思い出というシーズニング振りかかっているんだよなあと思っています。
このよのお勤めをはたすため日々精進ですね。