このブログ「イケオジ通信」では、ときどき、旧ブログ「あなたと夜と数学と」の記事の中から選んで転載していることもあります。今回は2019年の記事「失敗から学ぶ」についてこちらにまとめ直してみたいと思います。
失敗OKって言うけれど
学校現場では「失敗から学ぶ」という言葉がよく使われます。ま、かくいう私もよく使うのですが。
曰く「失敗することで人は成長する」
曰く「学校は安全に失敗ができる場である」
曰く「失敗したとは言うな、学んだといいたまえ」
曰く「失敗することは怖いことではない。本当に怖いのは失敗を恐れて何も始めないことだ」
とかなんとか。
しかしである。私は最近この「失敗OK」に少し疑問を抱くようになったのです(自分も使っているくせに!)。
「失敗しても大丈夫」という、いわば「安全な場を保証する」ことはもちろん大切なことです。でも私の問題意識は、「失敗した」で止まってしまってはいないかということなんです。
「失敗してもOKだよ」→「失敗しました」→「うんうん。でも大丈夫だよ」
じゃあただの気休めですね。ポイントは「失敗しても良い」ではなく、「失敗後にどうそれをリカバーするか」あるいは「失敗がどのように学びにつながったのか実感すること」にウェイトを置くことであって、そうしなければ、「失敗から学ぶ」という言葉は単なる気休めになってしまうのではないかという懸念を私は抱くのです。
というわけで、「失敗から学ぶ」とは「失敗しても良い」というマインドベースだけではなく、「敢えて失敗させ、そこからどうリカバーするか」という視点で「省察すること」に重きを置いてみたいと私は思っています。
失敗前提のワークショップに参加して
さて、そこで本題に入っていこうと思います。私は2019年に、1年間にわたって「まなびの泉」という場所でユニークなワークショップに参加していました。そこでの私の失敗を振り返ってみたいと思います。
このワークショップは、月に1~2回のペースで行われ、集まった仲間が、オールイングリッシュで教育や仕事や夢などについて語り合うのです。そして、結果として、英語でのプレゼン能力を高めるとともに、教育などについて、何らかの提言や具体的方策などのカタチを仲間と一緒に創り上げていくという、壮大で、1度で2倍も3倍も美味しい、楽しくワクワクなワークショップなのです。
そんなステキなワークショップですが、「日本語禁止・英語縛り」というルールのため、なかなか思うようにまとめることができません。ゆえに、私などは失敗の連続で、終了してから「ああすればよかった」「本当はああいたかったんだ」と悔やむわけですね。でも、そこで終わってはダメなんです。「いい汗かいて終わったね」「うまくいかなかったけれど楽しければヨシ。次頑張ろうぜ」ではいけません。
このワークショップを企画したタキックスさんは鋭いです。敢えて「オールイングリッシュ」と条件を縛ることで、頭がフル稼働し、創造力が生み出されます。そして、明らかに失敗が前提となるワークなので、その後の省察で「ファンブルリカバー」力が
働いてくるのです。そして、このような失敗は省察によって、次の学びへの欲求につながっていきますね。
では、ある日のワークでの私の失敗をここで振り返っておこうと思います。
自分の仕事において最も大事にしていること
この日のワークショップのテーマは「自分の仕事において最も大事にしていること」というものでした。ペアを組んで、それぞれが付箋紙に書いたものを見せあい、whyの視点でディスカッションし、1つにまとめて、簡単なハーベストを作ります。
私は、大学で先端の研究をされているサイエンティストのTさんとペアでした。Tさんが書いたのは「Continue My Belief」でした。私は「Watching Student’s Power」「Learning Over Teaching」「Not To Do But To Be」の3つでした。
最初の2つについては何とか説明できましたが、3つ目はなかなか説明が難しい。「おきて破り」で、日本語で説明しようとしましたが、なかなか思いを言語化できませんでした(失敗①)。
実はこれ、ユネスコ「21世紀教育国際委員会」の「学習:秘められた宝」にある言葉「Learning to be」がヒントになっています。私が言いたかったのは、何を成し遂げるかを目標とすることより、自分がいかに生きるかを大切にしたいということでした。
それは「成果よりプロセス」といったことも含みます。
さて、しばしのディスカッションの後、私もTさんの言葉に強いシンパシーを覚えたのでチームとして「Continue My Belief」でいこうと決めました。
私は、プレゼンテーションの中で、なぜ「Continue My Belief」を選んだかについて次のように説明しました。
今世界がドラスティックに変化している。そのような中で、今ある職業の47%がAIによって自動化されるとか、65%以上の仕事が新しいものに変わるとかいわれている。
でも、未来というのは誰にもわからないし、そんな言葉に惑わされて、人に従属して生きるのでは自分というものを失うし、幸せな未来はやってこない。与えられることを待つ、ノウハウを手に入れることに走り回るのではなく、根っ子にある信念をしっかり持って生きることが、むしろ変化に対応する力になるのではないか。(これを相当ひどいブロークンな英語で話しました)
ワークショップが終わったとき、Tさんが、「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」というトーマスエジソンの名言をつぶやきました。この言葉を聞いて、私はハッとしました。実はTさんの「Continue My Belief」という言葉を、私は独りよがりに受け取っていたのではないか、という疑問が湧いたのです。
Tさんは広い心で、私の説明を笑顔で受け入れてくださったのですが、本当はもっと違う意味があったのではないか。Tさんはそのことに触れていたけれど、私のアンテナがそれをしっかり受け止めずスルーしてしまい、自分の思っていたことに話を持って行ってしまったのではないか(失敗②)。
今思えばまさに、「Continue My Belief」は科学者であるTさんならではの言葉でした。つまり、自らの立てた問いに「答え」がでるまでぶつかり続けること。人生とは、自ら問いを立て、その答えを得るまであきらめず、情熱を傾け続けること。扉が開くことを信じてチャレンジし続けること。そういったメッセージがこの言葉に含まれていたんですね。今風の言葉を使うと「グリッド」ともいえるかもしれません。
そして、大きな目標を持ち、それに向かってたゆまぬ努力をし、あきらめずチャレンジし続けるような人は美しい。そして周囲の信頼を集める吸引力を持っています。まさにこれはTさんの姿そのものだなあと思いました。
次に、もう一つの班で出された言葉についても振り返ってみようと思います。もう一つの班から出てきたのはこんな絵です。
self-efficacy Secure Base Beaming Smile
がキーワード。描いたのはこのワークショップのリーダーであるSさん。絵がすべてを語っていますね。私は、ディスカッションの中で、Secure Baseについて意見を求められたとき、頭に浮かんだのは、なぜか、大坂なおみ、アフォーダンス、本日のTED talk の三題噺でした。ですが、そのことを整理して英語で表現する力がなく、テキトウなことを呟いて終わってしましました(失敗③)。
そこで今、そのとき頭にあったことを整理しておきたいと思います
セキュアベースリーダーシップ
Secure Base と聞いたとき、まず思い出したのはセキュアベースリーダーシップでした。これを語るときしばしば引用されるのが、2018年から2019年2月半ばまで、大坂なおみ選手のコーチをしていたサーシャ・バイン氏のことです。セキュアベースリーダーシップとは、「フォロワーを思いやり、守られているという安心感を与えるとともに、挑戦を求める意欲とエネルギーを持たせ
信頼を築く」と定義されています(ジョージ・コーリーザー他)
ちなみに、私は講演でリーダーシップについて話をすることがあるのですが、その際、「セキュアベースリーダーシップ」「サーバントリーダーシップ」「Eリーダーシップ」「シェアードリーダーシップ」「オーセンティックリーダーシップ」という5つのリーダーシップ像をまとめて、次のようにリーダーシップを定義しています。
〇他者の良さに気づく嗅覚が鋭く、他者を支援し力づけようとする行動力がある。
〇俺についてこい型のリーダーではなく、自ら下支えして周囲を支援する。
〇未来先取りの視点と、社会を変革しようとする使命感に溢れ、明確なビジョンを示し、人を繋いで信頼の輪を強くしている。
〇管理、上意下達という支配型の手法は用いず、相手を思いやるホスピタリティが行動の基本である。
〇常にアンテナが高く、他職種、異ジャンルとの共創によって新しい価値を生みだそうとしている。
〇フォロワーにチャレンジする勇気とエネルギーを与え、信頼を築く。
〇SNSやICTテクノロジをヒューマンアプローチの手段として使いこなす。
先ほどの絵の中でBeaming Smileを送るリーダーは、それを描いたSさんそのものであり、それはここにあげたリーダーシップ像をまさに体現されている方でもあります。
アフォーダンス
次に、アフォーダンスと本日のTED talk についてまとめておきます。アフォーダンスとは「環境が動物に対して与える『意味』」
(ジェームズ・J・ギブソン)と定義されています。例えば、教室が「整列された机と椅子、黒板、教卓がある空間」だとすると、それが与える意味は「教室とは教師が生徒に知識を注入する場。それ以上でもそれ以下でもなし」ということになります。
私は3年前にホットスプリングス市のいくつかの学校を訪問したとき、教室や廊下の雰囲気が日本の学校と大きく異なることに驚きました(下写真左)。この写真のように、校内の廊下や教室は、楽しい絵や子供たちの成果物が展示されていて、遊びの空間のような雰囲気が漂っています。
下写真中央は、レイクサイド高校での社会科の授業の様子です。ブレーンストーミングの授業でした。
先生の話に対して、生徒達が非常にリラックスしながらも、気がつくそばからどんどん手をあげて疑問や質問、意見を挟んでいきます。そして、彼の教室がステキなのです。パロディのポスターや、レイクサイド高校のキャッチ―なレガシなどが教室いっぱいに貼られています(下写真右)。そのポップな世界がたまりませんでした。教室がこのような空間にデザインされることでアフォーダンスは「教室はみんなの遊びと学びのコミュニティ」というように変わります。
教室をSecure Baseにするためには、まずは教室のカタチを変えていくことが最初の一歩かもしれませんね。
The Hidden Power of Smiling
最後の話題です。この日の2つ目のワークで、Ron GutmanのTED talk(The Hidden Power of Smiling)についてのディスカッションを行いました。私はこの内容で興味深かったのは、ダーウィンの研究に関する次のセンテンスです。
His theory states that the act of smiling itself actually makes us feel better
— rather than smiling being merely a result of feeling good.(彼の理論には、笑顔とは気分が良いときの結果であるだけではなく微笑むという行為自体が気持ちを上向きにさせると書かれている)
つまり、「楽しいから微笑む」の逆である、「微笑むことで楽しい気分が作られる」も成り立つというのですね。
チャップリンの喜劇「Kid」の挿入歌の「スマイル」は次の様な歌詞で始まります。Smile though your heart is aching
Smile even though it's breaking
When there are clouds in the sky
You'll get by
どうしようもなく悲しい気持ちの中で、微笑むことで決して希望を失わないという、切なくも美しい楽曲です。子どものために格闘するチャップリンの姿は涙なしには観ることができません。
脱線してしまいましたが、このように、教室のアフォーダンスと同様、人間のマインドを変えていくためには、表情を変えることや、笑顔でいる「習慣」をつくることから入っていくことが大切なんだなあと思ったのです。
更に言うと、カタチから心の在り様を変えるということは、ココロの健康は、カラダの健康からアプローチしていくことにもつながるのだなあと気づかされました。以上、とても長くなってしまいました。私の振り返りをここにこのようにまとめることで、失敗が価値あるものに転じてくれればと思っています。
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